カタン、カタン…


右から左へ優雅に流れていく何処か懐かしい景色を見ながら、故郷に思いを馳せる昼下がり。
もう少しで、枯葉舞い散る季節のカントリーサイドを蒸気機関車で巡る旅が終わりを告げます。
『異世界の車窓から』
ナレーションは私、 がお伝えしました。



……なんて、まあ、ぶっちゃけて言えば観光でもなんでもなく任務に行く途中なんですが。






―STAGE18     巻き戻しの街 Act.1







「目的のベルリーニまではあと少しで着くみたいね」

手持ち無沙汰な私がなんとなくティムキャンピーをつついて遊んでいると、
正面に座ったリナリーが手元の発着表を見ながら言った。
私の隣ではアレンが座ったまま手だけで大きく伸びをしている。

「結構長かったねー…でも、いいの?」

「いいのって?」

いやあ、私達任務で行くのにこんなにノンビリ向かってていいのかな、って。
そう私が言うとリナリーもそれは気になっていたらしく頷いた後、
でもこれしか向かう手段が無いから仕方が無いわよねえ、と苦笑した。
まあそれじゃ仕方ないか。しかし、この世界、技術が進んでるんだか無いんだかイマイチ判らないな。飛行機とか無いのかな。

「まあ安心したよ。私、また飛び乗り乗車かと思ってたし」

「ああ、そういえばの初任務はそうだったみたいね。でもいつもそんなわけじゃないの。この前は緊急事態だったから仕方なしにね」

「なるほど、緊急事態ね」

「ああ。だから、教団から出る前に準備運動してたんですか」

それはすぐに忘れて下さい、アレンさん

そういうところは食いついてこなくて宜しい。

そうだった、だから無駄に屈伸運動とかしてたらリナリーに不思議そうにみられたんだっけ。
まあ、毎回毎回飛び乗りなんてやってたら、いくらヴァチカンが絡んでるっても教団自体が列車内出入り禁止になっちゃうし。
当たり前といえば、当たり前か。
ばつの悪い気持ちでアレンを見ると、私のその様子がおかしかったのか笑われてしまった。
くそう、アレンのせいで余計なこと思い出したじゃないか。

まあ、仕返しってわけじゃないけど…

「えーっと。じゃあそろそろ…」

?」

「せーーーーっのっ!! 出っさなっきゃ負けだよ、じゃーんけーーーーーーん……

「え? …あ!」

「えええぇぇ!?」

「ポン!!」

私が突然発した掛け声に慌てながらも、各自しっかり反応する。

私=グー
リナリー=グー
アレン=チョキ

て、わけで。

「やったー! 勝ったーー!」

「ま、また負けた……」

何をやってるかっていうと、まあアレだ。只の暇つぶしというか。
いつの間にやら始まって、ずるずる続いているこのゲーム。
負けても列車の中の移動販売で何か買ってくるっていうだけなんだけど。

しかしアレン…じゃんけん弱いな。

「……はあ…ポーカーだったら絶対負けないのになあ…」

さすがに連敗が堪えているのか、自分の出したチョキを左手で掴んでうなだれるアレン。
いや、アレンとポーカーやるとちょっと軽くトラウマとかになりそうなので遠慮します。
アレンには悪いけど、こっそりトランプ持ってきてることは内緒にしよう。

「まあまあアレン、勝負は時の運っていうし。そんなに落ち込まないで」

「…楽しそうですね、

「うん、アレンには悪いけどぶっちゃけ楽しい

「くっ…まあ、負けは負けですしね。次は勝ちますから、覚悟してて下さいよ」

「ふふふ、そううまくいくかな?」

お互い不敵な笑みを浮かべる中、バチバチと火花が散る。
まるで悪役のやり取りみたいな私とアレンの会話にリナリーが笑った。

「さてと、喉も渇きましたし、何か飲み物買ってきます。二人とも何がいいですか?」

アレンが立ち上がると、私の手元に居たティムも気がついてアレンの頭に乗った。

「え? 本当にいいの?」

「って、が言い出したんじゃないですか」

はは、そうでした。

「いやあ、遊び半分だったし。あ、私も行こうか?」

「んー…3人分くらいだったら大丈夫ですよ」

「そっか。じゃあ、何かお茶があったらお願いしたいかな」

「あ、私もと同じやつで」

「判りました。すぐに戻ってくるんで待ってて下さいね」

「いってらっしゃーい」

笑顔でアレンを送り出しながらも、目でしっかりティムキャンピーの存在を確認する。
よし! ティム、今回はちゃんとアレンの傍にいるね! 大丈夫だね!?
何しろ、前回のアレン迷子事件の所為で私は1ヶ月も過去に飛ばされるハメになったんだから。
まあ、あれはあれで良い経験させて貰ったとも思っているけど。

「どうしたの? 

過去で起こった色々を思い出してげっそりしていると、リナリーが心配そうに聞いてきてくれた。
そういえば、あのタイムスリップの事はコムイさんに話したんだけど…リナリーには話してなかったんだっけ。
あ、そのときに勿論あの懐中時計は科学班に渡しました。
イノセンスではなかったにせよ奇怪には違いないから、というだけじゃなく、単純に持ってると危ないからというのも理由の一つ。

アレンが居ないのをこれ幸いにとリナリーに先日起こった事件について簡単に話すと、労わるような視線を向けられた。
ああ、優しさが身に染みる。

「3年前の世界?」

「そ。アレンの歳から考えてだから、多分だけどね」

「…す、凄い。って、。そこで1ヶ月も生活したの?」

「うん。大変だったよ…特に毎回クロスさんの借金の取立てがハンパ無くてね…」

「…なるほど。クロス・マリアン元帥の事は教団でちょっと聞いたことあるけど、大変だったのね

「昼は出稼ぎ…夜は特訓という名のいじめに耐えて…っても大抵の矛先はアレンに行くから私はそんなでもなかったんだけどね」

「大変だったのね…アレンくんも」

うん。大変だったんだ、アレンが。
結局、あの後も本人には言い出せないままになってしまっている。
思い出は美しいままが一番だ、きっと。
でも、不可抗力とはいえクロスさんにも突然消えたことはそのうちちゃんと謝らないといけないなあ。
とは思いつつも後の事を考えると会うの怖いなあ。

そう私が考え込んでいると、何処となく楽しそうなリナリーの声が聞こえた。


「じゃあ、がアレンくんの初恋の相手ってわけなのね」


「……………え?」

初…………?

って、ちょっと待って。
なんでそこでそうなるの。

思いがけない話展開に唖然としたままの私を置いて、うんうんと頷きながらリナリーはどんどん話を進めていく。

「おかしいと思ってたのよね。大体、アレンくん、に対する態度が最初から打ち解けすぎだと思ってたの」

「いや、ちょっと待って、リナリー…考えすぎだって」

「そんなことないんじゃない? 少なくとも私はそう思ってたし」

「…いやいやいや。ほら、アレンって元々フェミニストっぽいとこあるし…」

「ううん、そういうんじゃなくて。なんて言ったらいいのかな。…確かにアレンくんって誰に対しても物腰柔らかいけど、
いくらなんでも誰だって初対面の人間相手ってちょっとは緊張するものでしょう?」

「それは…まあ、そうだね」

「なのにそれが無かったのよね。だから私、暫くは二人は元々知り合いなんだと思ってたもの」

そうか。だから、納得。か。
う〜ん。そうかなあ…。
まあ、言われて見れば最初から優しかったといえばそうだけど、それは只のアレンの個性なんじゃないだろうか。
アレンが居なかったら私は今頃六幻の錆になってたかもしれないのは事実だけど。

って。あ。

「やっぱりそれは無いって、うん」

「どうして?」

「だって、アレン、私とその過去の私は別人だと思ってるし」

だったら私に対する態度以前の問題だ。
そもそも過去の話だって、憧れとは言ってたけど初恋だなんてそんな事も言ってなかったしね。
ちょっと世話の焼けるお姉さん、みたいなポジションっていうか。
なんだ考えてみればどうってことない。突然だったから無駄に焦っちゃったよ。
私がそういうと、リナリーは少し不満そうな顔になった。

「そうかなあ。いくらなんでも少しは覚えてるんじゃない? 何か思い出した様子は無かったの?」

「あー……あったといえば…あった、けど」

名前が似てるとかどうでもいい思い出し方だったけどな。

「でしょう? やっぱりそういうのって、忘れたっていっても心のどこかで覚えているものなのよ」

私の答えに満足したのか、リナリーはそう言って嬉しそうに微笑んだ。

なんていうか楽しそうですね、リナリーさん。
まあ判るよ。…人の恋路って無性に楽しいよね。
私だってこれが他人事だったなら、きっと無駄に盛り上がっちゃうかもしれないし。

でも楽しそうなリナリーには悪いけど、残念ながら違うと思うんだなこれが。
いや、残念なのは私の方か。ちっ、こんなことなら過去で既成事実の一つでも作っておけば…
あ、しまったつい本音が。

「あ、アレンくん。おかえりなさい、早かったね」

!?

「お待たせしました…って、何変な顔してるんですか? 

「へ………」

うわ、アレン。グッドタイミングというか、バッドタイミングというか。
買出しから帰ってきたアレンが、座席に座りながら不思議そうに聞いてきた。
変な顔とは失礼な…って私、今どういう顔してるんだろうか。

「あ、おかえりアレン。あははは……」

「…? あれ、もしかして、が欲しいのってこれじゃなかったですか?」

「い、いや、そんなことないよ! ありがとう!」

「? どうぞ」

慌てて目の前に差し出されたお茶を受け取る。

どうしよう。
リナリーが余計なこと言うから、変に緊張しちゃうじゃないか…!
威張っていえることじゃないけど、そういう話に慣れてないのでどう反応していいものやら判らない。
ほら、まだアレンに不思議そうな顔で見られてるし。

あ、考えすぎてなんかおかしな汗が出てきた。
ふ、普通に、普通に!

なんか普通の話題を…。

「…………?」

「…………こ」

「こ…?」

「今度からわたくしの事をお姉さまと呼んでも宜しくてよ!?」



全然普通の話題じゃないし。
一体何の宣言してんだ、私。



「…………あの、リナリー? 、どうしたんですか?」

「…………気にしないであげて。照れてるのよ。たぶん


うん。本当、暫くそっとしておいてやってください。











―――数時間前『黒の教団・司令室』



たぶんね。たぶんあると思うんだよね。イノセンス」

司令室に呼ばれた私、アレン、リナリーの3人はコムイさんに任務の詳細について聞いていた。
そして、呼ばれて聞いた第一声がこれ。
しかし『たぶん』って、そんないい加減な。
一体何日間寝ていないのか目に濃い隈を作ったコムイさんの周辺には、大量の資料が積み上げられていた。
気のせいかな、その下に埋まるようにして寝ているジョニーさんの額に死相が見えるのは。

「といっても、たぶんだからね。期待しないでね。たぶんだから。絶対じゃなくてたぶんだから

「はあ…たぶん…。って、コムイさん、上ーっ!! 書類がっ…」

「え。ギャアアアアアアァ」

やっぱり崩れたァァー!?

今にも雪崩が起きそうな書類の山を指差して警告したけど、ちょっと遅かったみたいで、
コムイさんはそのまま雪崩の直撃を受けた。
あああ、埋まっちゃったよ…!
慌てて掘り起こすとぐったりした表情のコムイさんがこちらを空ろな表情で見ていた。

「でもまあ、たぶんあるんじゃないかなーってね。たぶん」

「わかりましたよ。多分は」

呆れたような声でアレンが言う。
ほっといたら埋まりっぱなしになりそうなコムイさんの上の書類をとりあえずどけると、
「あー…ちゃん、ありがと……」とやっぱり空ろな声でお礼を言われた。
あ、案外タフだな…コムイさん。

「なんてゆーかさ。巻き戻ってる街があるみたいなんだよね」

「巻き戻る?」

「巻き戻るって…一体、何が巻き戻ってるんですか?」

「うん…。多分、時間と空間がとある一日で止まって、その日を延々と繰り返してる」

リーバー班長ーーー。コムイさんが生気の無い声でそう呼ぶと、
書類の山の向こうからこれまた生気の無い顔のリーバー班長が顔を出した。

「ウィーーーーース………」

な、なんかガタガタしてるけど、大丈夫なのかリーバーさん。
連日の徹夜で頬のコケたリーバーさんが手に持った書類を読み上げてくれた。

「調査の発端は、その街の酒屋と流通のある近隣の街の問屋の証言だ」

―先月の10月9日に「10日までにロゼワイン10樽」との注文の電話を酒屋から受け、翌日10日に配達。
ところが何度街の城門をくぐっても中に入れず、外に戻ってしまうので気味が悪くなり問屋は帰宅。
すぐに事情を話そうと酒屋に電話をしたが通じず。
それから毎日、同じ時間に酒屋から「10日までにロゼワイン10樽」との電話が掛かってくるらしい。


とリーバーさんが話してくれた資料の内容は大体こんな感じ。
な、なんかホラー小説みたいだな。
報告の締めくくりに、リーバーさんが暗い声でボソッと付け足した。

「ちなみに問屋はノイローゼで入院した」


(怖っ……!!)


オチまであるのか。
リーバー班長の説明が終わると、またぐったりした様子のコムイさんが続きを話し出した。

「調べたいんだけどさあ。この問屋同様、探索部隊も街に入れないんだよ」

「あ。ってことは」

ファインダーの人が入れないという言葉に、私は初任務の事を思い出した。
確か、そのときもイノセンスの影響で探索部隊の捜査が出来なくてって内容だったよね。
私の反応に言いたいことを察したのか、コムイさんが苦笑しながら答えてくれた。

「そ、ご明察、ちゃん。この前、キミ達に行ってもらった任務と同じだね」

初任務かあ。
そこでも色々あったな。

「この前と違うのは、街が本当に1日だけを維持し続けているとしたら、入れたとしても出て来れないかもしれない、
ということなんだ。空間が遮断されているだろうからね」

「それは確かにやっかいですね」

あの時は規模の小さな街だということもあって比較的早く原因をみつけることが出来たけど、今度もそうだとは限らない。
人手が足りないってのは調査するのに時間がかかるってことだし。

「というわけで、原因を調べて回ってイノセンスだったら回収。エクソシスト単独の時間のかかる任務だ…以上」

ハア…
持っている資料を目の前にかぶせるようにしてコムイさんがため息をついた。

これからそこへ向かう、私達も大変だけど…。
科学班の人達の安否のためにも早く解決しないと。
このままだと全員、干乾びるのも時間の問題だし。










そうして、長い道のりの果て。
ついに目的の街についた私達は、まずは暫く手分けして街の様子を調査することになった。
しかし、いつも思うんだけど、調査って具体的に何やればいいんだろう(初歩で躓いてます)
アレンとかリナリーは今頃どの辺を回っているのかなあ。

空を見上げれば雪が降りそうな曇り空。
道理で寒いわけだ。
途中で足元に落ちていた新聞を拾い上げて読んでみるとそこに書いてあった日付は当然のように「10月9日」。
なるほど…本当に時間が繰り返されてるんだなあ。
なんて私がしみじみとしながら歩いていると、何処からともなく突然大声が聞こえてきた。

「あんたーーー!! またあの女と浮気したわねーー!!」

同時に聞こえてきたガチャーーーンという凄い音にビクッとして周りを見回す。
聞こえてきた怒鳴り声の内容からして、夫婦喧嘩みたいだけど…

「だらあぁぁぁぁっ! おめーなんか窓から落ちちまえーー!」

「許してくれお前ーーーっ」

上を見るとなんか凄い掛け声と共に奥さんらしき人に詰め寄られている男の人が見えた。
うわ、本当に絵に描いたような夫婦喧嘩だったよ。
しかも、男の人の方は窓の外にぐいぐい押されていて今にも落ちそうだ。
ヤバイよ! あの人、首締まってるし!?
いくらなんでも壮絶すぎるって。

「お、落ち着いて! 落ち着いて下さい! 本当に落ちちゃいますよ!」

思わず慌てて下から声をかけると、女の人がこちらを向いてくれた…けど。

あんた、何!?

ひ、ひぃ。
怒りで我を忘れているのか、凄い形相で睨まれた。か、神田とは違う意味で迫力があるな…!
しまった。つい声をかけちゃったけど、もしかしなくても余計なお世話だったかもしれない。
ひるんだ私の様子を見て何かを更に誤解したらしい奥さんがヒートアップした。

「……! まさか…さてはあんたこんな若い娘にまで手を出したんじゃ…!」

「あああ、誤解だ! 誤解だぁぁーーー!」

わー事態が更に悪くなったー!?
とか思っている間にも、ピシリと窓枠に亀裂が入るのが見える。
あああ、本当に落ちるーー!?

また声なんてかけたりしたら、きっと状況が悪化するだろうし…。な、何か、何か無いかな。
慌てて周りを探すと、運よくなにか商店のテントのようなものが沢山道端に置いてあるのが見えた。
考えている暇は無い。
出来る限り掻き集めて、落下地点に置いて。戻って。置いて。

ま、間に合って!

そうして、何回繰り返しただろうか。
いい加減疲れてきた頃に、ぎゃあという悲鳴と共にどさりと重いものが落ちる音が聞こえた。


本当に落ちちゃったよ…。


まあ、こんだけ布を積み上げれば大丈夫…だよね。
そんなに高い場所からってわけでもなかったし、うん。
即席で作ったマットの上で、落ちた男の人がうめくのが聞こえたけどその後すぐに起き上がった。
うん、良かった大丈夫そう。

「あのー…だ、大丈夫ですかー………?」

それでもさすがに不安になって、呆然とした様子(そりゃそうだ)の奥さんに恐る恐る声をかけた。
奥さんは何か信じられないものを見たように下を見たまま動かない。
一体何を見てるんだろう…っと、あれは…キラリと光る……ペンダント?

「あなた、これ……」

「え? ああ、しまった…ポケットから…。当日に喜ばせようと思って黙っておいたのに」

照れくさそうに話し出す男性。
え、何このベタベタ展開。

「……もしかして…これを私に?」

「忘れたのかい? 明日は僕たちの結婚記念日じゃないか」

「覚えていてくれたの…?」

「勿論さ! …判ってくれたかい? 僕が本当に愛しているのはキミだけだって!」

「………………あなた!!」

「おまえ………………!!」



バッと腕を広げる旦那さんの胸に向かって、感激の涙を流しながら飛び降りる奥さん。


ガシィィィ…!

そして、綺麗に受け止めた後飛んできた勢いでくるくる回りながら、テントの上で感動の抱擁。
パチパチと何処からともなく拍手も聞こえてくる。……通行人?

え。何コレ。

どうしよう。
…私、完全に忘れられてる?
えーっと、とりあえず、めでたし、めでたし。ってことでいいのかな。
あーでも、何事もなくて良かった。
とりあえず余計なことしてごめんなさい…と心の中で謝っておこうっと。

あまりの熱々ぶりに居たたまれなくなって、そっとその場を後にした。
しかし、なんだったんださっきのは。
バカップルか。あれが噂のバカップルなのか。


バターーーーーーン


「……こ、今度は何!?」

油断しているとまた、同じアパート内から大きな音が聞こえてきた。
なんかまた同じパターンなんですけど!
まさかさっきのバカップルがまた!?

「――――…まってえええぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

って、良かった、違った…。
声のするほうを向くとすごい形相の女の人が何か叫びながら歩いてくるのが目に入った。
ひっ詰めた黒髪に、疲れたような目元には隈が凄い。肩にはショールをかけていて、一見ひ弱そうな印象の女性だ。
あれ? こっち来る?
私に何か用事…なのか…な………

あ、ああああああ、貴女は一体何者なのおおぉぉぉ!!!!

「! 何者って…な、何ですか突然。って、近い、顔近いですちょっと! ちょっと落ち着いてーー!!」

「朝はお隣さんの夫婦ゲンカを聞きながら時計を綺麗にするのが私のいつもの『今日』なのぉぉぉぉ!! なのになのにぃぃ!!」

「わーー!! 怖い! なんかよく判らないけど怖い!」

「何回やり直しても同じだったのよおお!! な ん か い やり直してもおおお ぉ ぉ お!!!

「ご、ごめんなさい! やっぱりなんか判らないけどごめんなさい! だから、その追いかけ方、本当やめてーーーーーー!

なんですか。あのアパートこういう人ばっかり住んでんですか。

お互い意味不明の言葉を話しながら、追いかけっこ。
だって、女性に向かって失礼だとは思うんだけど、
髪を振り乱しながら手をこちらに向けるようにして追いかけてくる様子が本当に怖いんだって。
もう、ほっといたら首とかぐるぐる回りだしそうな勢い。
すみません、申し訳ないけど、追いかけられたら逃げるのは条件反射なんです!
つかまったらなんか食われそうだし!

「あー、不幸女が来たぞーっ」

全力で走っていると何処の子だか判らない子供たちが、こちらに向かってはやし立てる声が聞こえた。
なんなんださっきから。次から次へと!
不幸女?

お黙り、クソガキ!

「キャー 不幸ビームだーーー! 逃げろ、不幸がうつるぞーー!」

私を追いかけている女の人が子供達に向かって一喝すると、みんな蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
あーなんだかんだ言ってこの子達楽しそうだな。あれかな、好きな子ほど苛めたいってやつ?
一見馬鹿にされているようで、実は街の人気者だな、この人。

あ、そうだ。
なんかよく判らないけど、今のうちだ…!
いろいろあったから、アレンたちとの待ち合わせ時間にも遅れちゃうしね、うん。

私は自分を無理矢理そう納得させると、女の人が子供達に気を取られているうちに全力でその場を後にした。

「す、すみませんーーー!! 急いでるんで、また後でー!」

「あ、貴女。まっ……」






「……はあ、もうこの辺で…いいかな」


お、思わず逃げてきちゃったけど…。
さっきの人、一体なんだって…


「あ」


さっきは勢いに呑まれて気付かなかったけど。
よくよく思い返してみれば、さっきあの人…「何回やり直しても」って…言った?
その後、少し戻ってあの人を捜したけどやっぱり既にその姿はここには無かった。
しかもあのアパート、既に場所わからん。

もしかして…逃げちゃったのは失敗だったかも。












その後。
事前に決めていた通り、大通りに面した酒場に一旦集まった私達は、今まで各自で集めた情報を報告しあうことになった。
今、私とリナリーの前にあるのは謎の一枚の絵。
事件に関係ありそうな人物と接触したって、アレン。…これ…人物?

「これは何? アレンくん!」

「…すみません」

責めるようなリナリーの言葉に、くしゃみをしながら答えるアレン。
くしゃみ1回って確か「噂話」だっけ。近頃寒いし、風邪とかじゃないといいけど。
アレンが被っていたフードを払いのけると、中からティムキャンピーが姿を現した。

「すみませんじゃない。どうして見失っちゃったの」

「すごく逃げ足早くて…この人。あ、でも、ほら似顔絵! こんな顔でしたよ!」

「似顔絵………?」

「え、アレン。これやっぱり人だったの…!?

…何気に酷い…。その絵、そんなに変ですか?」

「うん、変…」

「あ、いや、ある意味一種の才能だよ。前衛的っていうか」

。なんの慰めにもなってないんで、その辺で勘弁してください

う、やっぱり…?
ふと正面のリナリーを見れば、呆れたような顔と目があった。

もよ。さっきが会ったって言ってたその女の人もきっと何か知ってるわ」

「面目ありません…」

答えながらも、内心「ちょっと怒った風のリナリーも可愛いなあ」とかしょうもない事を考えてるなんて判ったらどうなるだろう。
あ、すみません。折角見つけた手がかりなのに逃げたばかりか迷って見失ったのは私が悪いって、反省はしてます。

隣ではアレンが私達の反応が未だに納得できないのか、自分の描いた絵を見てしきりに首を捻っている。
そうか、あの絵本気だったんだ…。ごめん、アレン。
私てっきり、何かのリアクションを期待したギャグだと思ってたよ。

リナリーはそんな風に何故か妙にポジティブな私達を見て、小さく息を吐きながら言った。

「こんなことなら手分けせずに一緒に調査すればよかったね。アレンくん、昨夜退治したアクマ…確かにその人に「イノセンス」って言ったの?」

「はい。道に迷って路地に入り込んだら偶然見つけて…」

ガツガツと大量の食料を掻き込みながらそう答えるアレン。緊張感ないなオイ。
そういえば、それ、何皿目だっけ。
さっき呆然としながら見ていたら私の視線に気付いたアレンに、もいります?、と聞かれたので丁重に断った。
いや、そういう意味で見てたんじゃないから。

「運が良かったです。の見た人物とも特徴が合うし。たぶん、今回の核心の人物だと思いますよ。見失ったけど

「うん。私もそう思う。たぶん、あの人何か知ってるとみたね! 見失ったけど

「二人とも、今度から絶対一緒に調査しよう。見失ったのも迷ったからでしょ」

じとーっとした目でリナリーにそう言われては笑い返すしかない。
さすがにアレンも何も言い返せなかったのか、無理矢理話題を変えた。

「あーっと、リナリーの方はどうでした?」

「んー…コムイ兄さんの推測はアタリみたい。とアレンくんとこの街に入った後、すぐ城門に引き返して
街の外に出ようとしたんだけど、どういうワケか気付くとこの街に戻ってしまうの」

リナリーはホットチョコレートの入ったカップを両手で持ちながら考え込むように言った。
そのまま一口飲んでから、ため息をつく。

「ちなみにこの街を囲む城壁も、何箇所か壊して出られないか試してみたけどダメね」

「あー…まあ、それは…しょうがな…」

それはそうだよ。
だって普通、城壁って言ったらレンガだし。そんな簡単に壊せるもんじゃ…

「うん。穴から外に出たと思ったら、街の中の元の場所に戻されてた」

壊せてたよ。

ダメってそっちの意味か!
あんまりさらっと言うもんだから普通に考えてたけど、考えてみればリナリーもエクソシストだしね。
出来ないこともないのか。改めて凄いな…イノセンスの力って。
まさかこんな美少女が街の外れで城壁を蹴破ってるとは誰も思わないだろう。シュールすぎる光景だ。

「あ、それじゃ、やっぱり」

てことは、ここから出られないのは確定なんだ。
入るときはビックリするほどすんなり入れたけど、行きはよいよい帰りは怖いってやつ?

「そう。私達、この街に閉じ込められて出られないってこと。イノセンスの奇怪を解かない限りね」

イノセンスの奇怪…かあ。
ここにくる前のコムイさんの言葉を思い出す。
それはそれとして、いつもに増してやつれてたなー。今頃、大丈夫なんだろうか。

「そういえば、コムイさんなんか元気なかったよね」

「……うん。なんか兄さん…色々心配してて、働き詰めみたい」

「心配? リナリーの?」

「伯爵の!」

アレンの真面目な勘違いに、リナリーがチラシを丸めてアレンの頭をポコッと叩く。
なんだそのやりとり。二人とも可愛いな、おい。
いやいや、いけない。このままだと話が脱線しっぱなしだ。

「そうだよ、アレン。大体、コムイさんってリナリーの心配だったらいつもしてるじゃない」

も、そこで変な納得しないのっ」

リナリーは私の言葉に呆れたようにつっこんでから、真面目な顔で話し始めた。

「最近、伯爵の動向がまったくつかめなくなったらしいの。『なんだか嵐の前の静けさみたいで気持ち悪い』ってピリピリしてるのよ」

……そういうワケだったんだ。
その割りに缶蹴りなんてして、随分余裕なんじゃないだろうか。
いや、別の意味でピリピリはしてたけどさ。

「伯爵が…」

リナリーの言葉に何か思うところがあるのか、アレンがフォークを咥えたまま呟いた。
そういえば、アレンって千年伯爵と面識があるんだっけ。
その辺は色々あって詳しくは聞いてないけど…さすがに表情が険しい。

アレンはそのまま空中をじっと見て。
と思いきや、次の瞬間何故かその表情が固まった。

なんだなんだ?
と、そこで私もじーっと自分を見る視線に気付いて、リナリーの背後を見ると。

あ……。

おそらく私と同じものを見てるだろうアレンの手から滑ったフォークが、ガチャンと金物が落ちる甲高い音を立てた。

「? アレンくん、フォーク落ちたよ」

「「あああ!!!」」

「はっ!」

ガタンと大きな音を立てて、私とアレンがハモりながら思わず立ち上がる。
その勢いにビックリしたのか、リナリーの後ろの席に隠れていた女の人がビクッと身を竦めた。

「こ、この人です、リナリー!」
「そうそう、この人ーーーー!!!」



びしっと指差した先には。
間違いない!
さっき私が見失った女の人だーー!
良かった、割とすぐに見つかった!
え。でもなんでこんなところ…に…って。

「え。ちょ、ちょっと待って下さいッ! 僕たちは怪しいものじゃありません!!」

アレン。自分で怪しいっていうと余計怪しいから。
いや、そんなこと思ってる場合じゃない。
何故か一目散に逃げようとする女の人を慌てて追いかける。

「そうです! この街を襲った異変を調べて回ってるんですっ! 聞いたことありませんか黒の教団のエクソ、シスト、って…!」

「エクソ…シスト……?」

必死に説得するとその言葉に興味を持ったのか、ゼーハー言いながらも何とか止まってくれた。
間一髪でその女性を引き止めたは良いものの、窓枠から落ちそうになってるアレンを後ろで支える。
いや、でもアレン、緊急事態とはいえ女性のスカートを掴むのはどうかと思うよ。

「はい…てか、何で逃げるんですか。しかも窓から…」

「ご、ごめんなさい。何か条件反射で………」

息を切らしながらアレンが聞くと、同じように凄い形相をした女の人がそう答えた。
あ、判ります、なんか追いかけられると逃げたくなりますよね。
何よりさっき、この人から条件反射で逃げちゃった私には何も言えないわけで。




なんとかその女の人を落ち着かせることに成功した私達は、彼女の話を聞くためにまた同じ酒屋の同じテーブルに並んで座った。
さっき大騒ぎしたばかりだからお店の人からの視線がちょっと痛いけど、そこは見なかったフリをする。

ジリリリリと音が聞こえて顔を向けると、カウンターの中でマスターが何処かに電話している様子が見える。
あー…これが問屋さんをノイローゼに追い込んだ噂の電話か。
概要だけだと怪談話みたいだったけど、真実を知っちゃうと意外と普通な感じだ。
いや、同じ日付を繰り返すって十分普通じゃないのか。

「わ、私はミランダ・ロットー。嬉しいわ。この街の異常に気付いた人に会えて」

私達が簡単に今までの経緯を説明すると、その女の人は疲れたような笑みで挨拶してくれた。

「誰に話しても馬鹿にされるだけで、ホントもう自殺したいくらい辛かったの」

そういって、ウフフフフ…と不気味に笑うミランダさんに、若干引き気味の私達。
でも一人だけ異常に気がついたって。
だからあの時も必死に追いかけてきてたんだ。本当に悪いことしちゃったなあ。
なんかやつれ方も尋常じゃないし。

しかしこの人、大分キテるっぽいなぁ…。

「ミス・ミランダ。あなたには街が異常になりはじめてからの記憶があるの?」

私達の中でいち早く気を取り直したリナリーがそう聞くと、ミランダさんはコクリと頷いた。
おお、ビンゴ?

「街の皆は昨日の10月9日は忘れてしまうみたいだけど」

「そうみたいですね」

「私だけなの…」

ミランダさんはそうぽつりと言った後、別人のような素早さでアレンの手を掴んで詰め寄った。

「ねぇ! 助けて、助けてよぉぉ! 私このままじゃノイローゼになっちゃうぅ〜。あなた昨日私を変なのから助けてくれたでしょ。
助けたならもっと助けてよーーー!!!

「うわわっ! 怖いっ…! 、助けて!」

「いや、アレン。女の人に向かってそれは流石に失礼…うん、ごめん、アレン! 私も正直怖い!

「落ち着いて、ミス・ミランダ! 助けるから、みんなで原因を探しましょう」

最初に追いかけられたときも思ったけど、ミランダさんって時々妙な迫力があるっていうか。
うう、普通にしてれば何気に綺麗な人だと思うんだけどなあ。スタイルも良いし。
本当、普通にしてればなぁ。

「原因ったって、気付いたらずっと10月9日になってたんだものぉ〜」

「本当の10月9日に何かあったハズよ。心当たりは無い?」

「心当たり……」

リナリーの言葉でちょっとは落ち着いたのか、ミランダさんは何か思い出すようなしぐさをした。
何か思い出してくれれば、解決も早いんだけど…。

「……! 

「アレン、何…? って。あ」

さっきまでミランダさんに詰め寄られてほぼ半泣き状態だったんじゃ…。そう思いながら、
突然真面目な声を出したアレンにビックリして顔を向けると、アレンの左目が赤く光っていた。
「気をつけて、囲まれてる」私の耳元でそう注意すると、後ろを警戒しながら立ち上がる。
ってことは…。

「リナリー。ミランダさんを連れて一瞬で店を出て」

やっぱり…アクマ?

「キミの黒い靴ならアクマを撒いて彼女の家まで行けますよね?」

リナリーもアレンの言いたいことが判ったのか、同じように警戒しながら目だけを後ろに向けた。
対して、これから何が起こるのかわかっていないミランダさんは、突然雰囲気が変わった周りの様子を不安そうに見回している。
かわいそうに…。これから万国ビックリショーみたいなの始まりますから、覚悟してて下さい。
と、心の中だけで合掌しておく。

「どうやら彼らも街の人とは違うミランダさんの様子に目をつけ始めたようです」

アレンが左手のイノセンスを発動させながら歩いていく。
ミランダさんの息を呑む音が聞こえた。

「何故ミランダさんが他の人達と違い、奇怪の影響を受けないのか。
それはきっとミランダさんが、原因のイノセンスに接触してる人物だからだ!」


「………え?」

そして、アレンの歩いていった先に居たのは、やはりというかなんというか。
客に紛れて集まってきていた、本性を現した数体のアクマ。

「…………!!?」

ミランダさんはあまりの光景にビックリして声も出ないのか、ノドの奥で小さく悲鳴を上げた。

判ります、判りますよ。正直私も叫びだしたいですよ。
てか叫びますよ、心の中で。
なんだよ、このビックリ人間大集合みたいなのは!!
あ、人間じゃなくてアクマか。
でも、いくらなんでも、数多すぎじゃない!?

アレンが攻撃を仕掛けると、アクマが一斉に動き始めた。
衝撃で店内の窓ガラスが砕け散る。
混乱を避けるためかミランダさんが本格的に叫びだす前に、リナリーが黒い靴を発動させてその場から離れた。

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………!!」

ああ、ミランダさんの悲鳴が遠くなっていく。
リナリーだったら、アクマに撒くのは簡単だろうし、まずは一安心。



で、私は何をすればいいんだろう。



リナリーについていく…のは勿論×。
アクマはミランダさんを狙っているわけだから、追いかけたりして追跡されたら元も子もないし。
かといって、アレンと一緒に戦う…のも、逆に足手まといになりそう。
こんな数のレベル2相手にまともにやりあえるほど戦い慣れて無いし。

中途半端だなあ、私。

と、とりあえず。補欠で。
大丈夫、レベル2なら初戦闘で対決したことあるし。吹っ飛ばされて終わったけど。

「……イノセンス、発動」

自分のイノセンスを発動させて、万一に備えて右手でぎゅっと握った。
緊張で手が汗ばんでいるのが判る。

さあ、始まるよ、万国ビックリショーが。
いや違った。



――――生死を賭けた戦いが。






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◇あとがき◇

いやちょっと待って、原作沿い難しい…!

中途半端にギャグを入れたら見事に雰囲気ぶち壊しで、すみませんでしたああ!
個人的には原作沿いって「未来を知っていてそれを変えることが出来る」のも魅力の一つだと思っているので、
原作知識の無いところが思わぬハードルになったり…。
もう最終的には、一旦現代に帰って原作読んでからまたこっちに来るという荒業まで考えたんですが、流石にそれは止めときました。
話長くなりますしね(そこか)

そんな感じで見切り発車でしたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!
もし、宜しかったら今後ともお付き合い頂ければ幸いです。


(H19.12.23)